兎徒然

うさぎと暮らす日々、ときどきアート

絵画表現の追求-幼児期

「 絵を描いている」と、何かの拍子に告げる。  

 

   皆さん興味津々でみせて!と言う。

   みせると「絵が描けるっていいよねー!そんな風に描ける人になりたかった」などと言う。

 

   絵なんて大抵の人は興味無いのかな、と常日頃感じるので驚く。今回は幼少期から自分がものづくりを通して見たこと感じたことを思い返してみようと思う。

  

  

   絵を描くことの良いところは、紙と鉛筆さえあればいいので、特にこだわらなければお金もかからないし、自分一人でできる。この条件が私が絵が好きになった重要な点だが、母子手帳によると、やはり持って生まれた性質というのもあるのかな。身体が弱かったことも大きな要因だ。

  

  兄嫁が妊娠した際に実家に帰省すると、母が母子手帳を3冊出してきた。兄の母子手帳をお嫁さんにあげたい、と捜してきたのだ。当然私と姉のも出てくる。

  誰からともなく三人の成長記録を比べてみた結果、幼児期から、それぞれの人格の特徴がでている。私が兄姉より早かったのが、積み木、殴り書きからグルグル、はさみ。逆に立ったりはしったりは投げたりは全部遅い…。ちなみに父母兄弟は美術芸術に全く明るくない。

 

子どもが絵を描くとき

子どもが絵を描くとき

  • 作者: 磯部錦司
  • 出版社/メーカー: 一藝社
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  保育園の頃には、お絵かきや粘土遊びにかなり時間を費やしていたと思う。幼少の記憶もだいたいなにか作っている記憶。

  園庭でも、シロツメクサを編んだこと、葉っぱやお花を並べて地面をデザインしたこと。そんなことばかり思い出す。園庭の隅には山から水がきており、ほんの小さな川があって、ここでは笹舟を流したりした。

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  この川縁で、鮮やかな花びらを石で叩いてすり潰し、水でといて絵の具を作ったつもりが、乾くとどれも薄茶色にしかならなくてがっかりしたこともよく覚えている。

  後にこの川は危ないだとかいわれ柵ができて立ち入り禁止になってしまった。(子供のあしでもふくらはぎまで浸からない深さだったのに)

 

  ある日、先生が色紙やモールを自由に使って好きに工作をしていいよ、と言った。色紙はあんまり自由にならないアイテムだったので、嬉々として作ったはずだ。

  それは覚えてるかぎり、初めて自分の中で作品と呼べるもので、会心の出来だった。

  持って帰って飾りたいと思った。

  立方体に屋根を乗せて、窓部分を四角に切り抜き、ちょうどゴミになっていた透明のフィルムを貼り付けてあった。窓を覗くとうさぎさんが見える。屋根にはモールの紐を付け、吊り下げられるようになっていた。

  可愛くできた、と眺めていたら、先生に衝撃の言葉を告げられた。

 「昨日退院した◯◯ちゃんに作ったものをプレゼントしにいきましょう」

  乱暴な一言だった。そうならそうと最初に言ってくれたら良かったのに…だったらあの子が好きなねこさんにしたのに…。

  これはあげたくないなどとは言いだせず、皆でお見舞いに行き、手渡した。

  帰宅してからなんとか再現できないかと試みたが、園で使った色紙は厚みがあり、自宅にあったのはペラペラの折り紙で上手く立体にならなかった。それに、うさぎも、さっき作ったものの方がかわいかった気がする…。

  同じものを似せて作ろうとした時点でニセモノなんだと学んだ。

 

 ↑こんなのがあれば狂喜乱舞していたとおもう。

 

  母の日の少し前、決まってお母さんというテーマが設けられて絵を描いた。サクラのマット水彩絵の具を使っていたんだと思う。もう終盤まで描けていた。肌の感じは苦労したがこんなものか。私としては母の安心感、甘い匂い、そんなものを描こうとしていた。ウェーブがかった長い髪も上手く描けた。母の服がオレンジだったので、たしか背景を水色に塗っていた時、隣の男の子が筆洗を倒した。

  反射神経は今でも変わらず鈍い。筆洗の水がみるみる母の絵を覆っていくのを、私は何もできずにみつめていたんだと思う。

  先生が慌てて来て、私の絵を取り上げて拭いてドライヤーで乾かしてくれた。

   絵は別物になっていた。

   先生は慰めや励ましの言葉をかけてくれたと思う、が、私は驚きと発見で画用紙にみいっていた。

  いわさきちひろの絵みたい…。

  偶然にも、水を沢山含ませて描くと色が滲んで独特の表現になる〝たらしこみ〟技法を知ったのだ。

    肌の色もさっきより透明感と立体感がでて母の実体が現れたようだった。

 

   たらしこみ、とは日本画の技法のひとつで、絵の具が乾かないうちに、別の色を用いることで滲みをつくり、色彩効果として活かす手法だ。意図的には宗達が最初に用い、琳派で技法として確立されたという。(そういえば最近はたらしこみネイルなんてのもあるらしい)

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  滲みが出来た母の絵は、多少の目鼻を書き直してそのまま提出した。

  その一件があってからは、滲みの効果を意図的に出すにはどう絵の具を扱えばよいか試してみたく、絵の具を使える時間が待ち遠しかった。

  水彩絵の具を買って欲しいと母に頼んでみたが、我が家はあまりほいほいと物を買い与えてはくれなかった。まだ絵の具は早いから保育園で自分のを配られるまで待ちなさいと言われた。自宅にはお土産なんかで貰ったクーピーやサインペン、色鉛筆はあったが、保育園児に水彩絵の具と筆を贈ってくれる人はいなかった。

  保育園の絵の時間には、自分なりにあの滲みがどうやれば再現できるのか試していた。

「お絵かき好きなはずなのに、どうしてふざけるの?」

  と、先生に叱られた。ふざけていないことを説明しようにも、あれをどう表現したものか…。

 「 先生、母の日の絵を出してください。」

  あの絵を見せながら説明しようとおもったのだ。園で描いた絵は一旦提出し、年度末に一綴りにして返してもらうようになっていた。

  「◯◯さんの絵は、とても良く描けていたから、賞を貰ったんだよ!そしてその絵は外国の人に見てもらうために、アメリカのサンタバーバラにおくることになったんだ!」

   先生は喜べとばかりに答えたが、私はこの理不尽な展開をどう言い表してよいか術がなく、何もいえなかった。あれは手元に残したかった絵なのに。お母さんにもあげられないではないか。

   大人って勝手ばかりだ。私の絵なのに。

 

  年度末になっても、海を渡っていったあの絵は帰ってこなかった。

 

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ちひろの絵のひみつ

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  書きながら思い出したが、絵画表現の追求を私は幼いながら試みていたんだなと思う。

  そしてそこには、周りにはわかってもらえないという諦めが付きまとい、周囲への警戒心が根付いたきっかけにもなった。

   

  大人になってから思うと、私の母はあまり教育に積極的ではなかった。正社員としてフルタイム勤務しながら家事をこなし、資格取得の勉強をし、副業まで持っていたので、単にそこまでまわす余裕がなかったんだろう。知人が母をスーパーサイヤ人と呼んでいた理由が今ならわかる。

  おかげで私は家ではやりたい放題創作に没頭出来た。母は私があんまり描きたがるので、床や壁に模造紙を貼っていたらしい。おかげで私は年長になるまで、壁に絵を描くことがダメだと知らなかった。

  一度、休み時間に園長室の壁に石でうさぎの絵を描いた。わーかわいくなったと喜んでいたら、園長にめちゃくちゃ叱られた。悪びれない私に、激昂する園長。

  そうか、壁に絵を描かれるのが嫌な人もいるんだな…かわいいうさぎなのに…、園児がそう考えているなんて、園長は知る由もなかった。

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