兎徒然

うさぎと暮らす日々、ときどきアート

まる子は永遠に

  さくらももこさんが逝ってしまった。

  53歳だったなんて。若い頃にデビューして、ずっと走り続けてきたんだろうな。

  私はちびまる子ちゃん世代だ。5歳の頃にアニメが始まって毎週みていたし、姉が「りぼん」を買っていたので漫画も読んだ。

 

ちびまる子ちゃん (1) (りぼんマスコットコミックス (413))

  母は私がまる子にそっくりだと、よく言った。私はまる子みたいにぐうたらでもないし、まる子みたいにいい子ではなかったけど、そう思いたかったんだろうな。(どちらかというとメンタリティは「じゃりン子チエ」のチエちゃんに近いと思っていた)

  さくらさんは、ずっと漫画家になるのが夢で、いわゆる瞳きらきら少女漫画を描いて投稿を続けていたが、賞にはひっかからなかったそう。高校時代に提出したエッセイ風の作文を先生に高評価され、これだ!と思い、エッセイ風漫画を描いたのがまる子の始まりだった。

  その時の先生はさくらさんの作文を「現代の清少納言」と評したそう。

  とりとめのない日常をエモーショナルに切り取る天才を作文から見抜いた先生も凄い。何が人の人生に影響するかわからないなぁ。

ほのぼの劇場 (1) (集英社文庫―コミック版)

ほのぼの劇場 (2) (集英社文庫―コミック版)

  さくらももこの漫画はぱっと見は画力があるとは思えないのだが、この庶民感!これが強烈な個性なのだ。ガーンという顔の縦線という漫画の常識を作ったのもさくら先生。

  私は「りぼん」のカラー扉を見るのが楽しみだった。さくらももこのカラー扉はイラストレーションとしてもオリジナリティが強く、色彩や構図もいつもいつも新鮮だった。

  彼女はマルチクリエイターみたいなところがあるなぁと思う。人気が出た時、まだ若かったのに会社をパッと立ち上げて、キャラのライセンスを自分で守った。

  アニメの脚本も、世界観が人の手で変わってしまうのが嫌で最初は全部自分で書いていたそう。キャラクターグッズもかわいいアニメキャラのグッズという風ではなくて、どこかエキゾチックな模様がキャラクターとともに施されていた。

  商才というよりは、自分の作った世界への愛だったのではないか。

あのころ (集英社文庫)

  ↑このモザイク画、左右のしずく型のものはなんとサプリメントだそう。

 

  多分5歳か6歳か、遠足で遊園地みたいなところへ行った時、ちびまる子ちゃんグッズがだーっと並んでいた。こんな仕事もあるんだなぁ、自分のイラストが商品になってお金を稼げるなんていいなぁと思ったのを覚えている。

  小学校高学年になると、さくらさんはエッセイをバンバン出し始める。こんなものをこう作ったよ、と木箱や瓶に自分で描いたイラストを貼り付けてオリジナルグッズを作っていた。

  あぁ、この人は楽しむことに関して天才!真のアーティストとはこんな人、作らずにいられない人なのではないかと思った。

 

  私もこんな大人になりたいな。

  自分の世界を仕事にしてワクワクしたい。

 

 さくらももこという人は、こんな大きな夢をとても近く見せてくれた人だった。

 

 

  まる子は永遠に生きていく。

  そして、皆を楽しませると共に、貴重な昭和文化史を伝えていく大役を担うだろう。

  

  ↓この本の単行本を持っていたんだったか、先生に借りたんだったか?カバーをとった表紙の梟のデザインが素敵で、図工で作る彫刻の壁掛けのデザインにしたことがある。

ももこのいきもの図鑑 (集英社文庫)

  

  

 

さくらももこのデザインのルーツには、ル・カインの影響がある。さくらさんはル・カインを憧れの魔法使いとよんだ。

イメージの魔術師 エロール・ル・カイン

  曼荼羅なんかも研究したそう。

 

  1999年の雑誌と。

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  かいちょ、

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  物持ちいいでしね。

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   さくらももこは身近な魔法使いだった。

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  その箒の後ろに子どもたちをのせて飛び回ってくれた。たくさんの感謝を込めて。