兎徒然

うさぎと暮らす日々、ときどきアート

教育について考える。

 こないだ閉館7分前に図書室に行った。

 アナウンスと司書さんの早よせんかい!オーラに負けじと、とにかく五冊を直感で棚から抜いて借りてきた。

 

  したらば今、私が心の奥でゆらゆらと考えていたことにフィットする本を引き当ててしまった。こういうことってあるんだよな。めちゃくちゃ調べて選んで取り寄せた本が全然必要ない内容だったり…。

  

  借りたのはシュタイナー教育の本。心理学や絵画教育を考える延長でシュタイナー教育を知ったのは五年ほど前。

 私自身が受けた義務教育に対し、思うところがあった。向き不向きがあるとは思うが、私が思う理想論は遥かに昔にドイツで確立されていた。

  

 

我が家のシュタイナー教育-幼児期編

我が家のシュタイナー教育-幼児期編

 

 

 シュタイナー教育の特徴は感受性や創造性の発展に重きを置き、学問としては思考の土台を確実丁寧にじっくり築き上げていくところ。

  例えば算数ならシュタイナー教育では、まず0や1の概念を絵や身体の動きで理解するところから始まる。

  近年の大学生は数の概念が植わらないままに、大学の講義を受けている子が少なくない。

  例えば、税込価格から本体価格の値段を出す、これの計算式が分からないのだ。また、消費税による1円の誤差、これも説明してすんなり理解できる子は少数。

  

  また、日常の中で量の2倍、3倍の想像ができない。

  算数が本当に机上の空論になってやいないか?

  義務教育で習う5教科は、人生を逞しく楽しく生きぬく為の知恵や思考力を養うためのものであるはずが、テストの答えを書くためのものになっていないか?

  大学受験をパスするための通過儀礼、ただそれだけに知識がおさまっていないか?

 

  私には子供がいないし、学校教育に関わる身ではない。だが、仕事で関わる18歳〜20代前半の若者を見ていると、そういった懸念が強まる一方だ。

  あれ?というくらい日常生活においての知恵や知識にかける。でも、そんな学生が全国でも名の知れた大学に在学していたりする。

  私の体感ではあるが、10年前くらいはそんな子が10人に1人いるかいないか。でも今は大げさではなく半数ほどに増えてきた。

 

  話を聞くと、とても教育熱心な親御さんのもとで、習い事に塾にと時間もお金もかけて育てられている。本人も大変な努力で大学に合格している、なのに、だ。

  

  今の学生は忙しすぎると思う。思考を巡らす暇もないくらい、課題や部活やイベントに追われている。

  基礎や根幹となる柱を建てる前に、高層階ビルの建築を強いられているようにみえる。

  

  勉強の為の勉強になっているんじゃない?と、思う。

  本来、学生時代の勉強というのは、新しい知識を受容し、思考し、目標の為に自分で遂行する力を育てることなのではないのか?

 覚えられないことを、どうやったら自分が覚えられるのか、創意工夫していくことを学ぶ過程ではないのか。

  

  「私、これが覚えられないんです」

 

  会社で後輩の言葉をきいて固まってしまう。

 

  覚え方を提案してあげて、覚えるまで付き合ってあげるしかない。

  その子は今までそうやって生きてきたのだ。

 

  間違えてしまった、という後輩にきいた。

「どうしたら良いと思う?

   ミスは無かったことにならないけど、

   自分で今できる最善のことを、考えてみて?」

 

  無言だった。

 

  AでもBでもGでもいいわ。

  とにかく自分の思考と意思を仕事に反映させてほしい。

 

  しばらく真面目にシュタイナーを含む教育の記事を書きます。o(`ω´ )o

ふきちゃんがかわいいので本の内容については明日!

 

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かいちょ。

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ふきにデレデレしてる会長からは想像できないでしけど、ちゃんと働いてるんでしね。

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そうだよ、ふきちゃん、デレデレは反動だよ。