兎徒然

うさぎと暮らす日々、ときどきアート

実体験のある生きる学びを

 昨日からの続きである。

 まず、私はシュタイナー教育を理想と述べたが、実際のシュタイナー学校の現場を知らないので、盲信してはいない。

  あくまでもシュタイナーの思想に賛同している、ということ。

  昨日の記事にコメントを頂いた。

『教育現場として機能しているか、又は個人に合っているかは見極める必要があります。』と。id:saki-biancaさんはドイツに在住し、子育てをされている。やはり、シュタイナーの思想をそのまま現場に持ち込むのは難しいのだろう。

  一つは先生自身がこのシュタイナーの理念を正しく理解し、それに基づいて行動出来る成熟した人間性を持てるか?というところ。

  シュタイナーは人の気質を四分類し、先生が子供の気質を見抜き、理解し、その子の気質に反した行動を無理して要求しない指導を提唱している。指導者は心理学にも長けておらねばならず、かなりの根気を要するし、またそれぞれの気質に対応するには全ての気質を真に理解しておらねばならない。

  今回読んだ本は、ひとりのお母さんが子供の成長をシュタイナーの理論にあててみた、というところが、ただの理想論ではないところ。

 

 

我が家のシュタイナー教育-幼児期編

我が家のシュタイナー教育-幼児期編

 
続・我が家のシュタイナー教育-児童期・青年期編

続・我が家のシュタイナー教育-児童期・青年期編

 

 

  作者の広瀬牧子さんによると、

  シュタイナーがいう子どもの成長のプロセスが、はたして我が子にもあてはまるかどうかを、母親の視点で誕生から大人になるまで、長期に渡って見つめてきた記録である とのこと。

  

  冒頭にいるのは、育児書に我が子をあてはめようとする新米の母親である。私は母親になったことがないが、よくわかる。

  最初のうさぎは、飼育書通りに育てようと頑張ってしまったものだ。(うさぎと一緒にするな!と思われるかもしれませんが…)

  生後何ヶ月まではペレットを◯グラムと、記載通りに育てたところ、立派なぽっちゃりさんになってしまったのだ。

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  ふきちゃんには身体や糞の状態をみながら食べきれる量を与えている。そして今日もカワイイ!(゚∀゚)あ、すみません。

 

 すぐ戻しますっ!

 

  広瀬さんは、体重が増えてないと注意されて以来、成長に遅れがないか気にするあまり、個の本来の成長を無視してしまった面があったと書いている。

  早すぎるかなと思ったが歩行器に入れてみた。その中に入れておけば安全だと楽できた。

  結果、娘さんはお座りを人並みか、ちょっと早くにできたそう。

  しかし、寝返りもハイハイも遅れ、しかもその期間わずかにしてすぐに歩くようになった。

  後に息子さんの動きを見て、寝返りやハイハイが乳児の身体能力の発達に重要な行動であったことを思い知ったという。

 

  シュタイナーは、成長を無理に促すことを良しとしない。その発達段階に応じて、身体の内から湧き出る自然な欲求を満たすことが、真に成長につながるとしている。

  

  この考えは就学以後のメソッドにもあり、確実に、言語だけでなく、感覚器全てを使ってゆっくりと理解していくのがシュタイナーの理想的な指導だ。

  地盤を固めてから積み上げていく、やはりこれにつきるのだ。

  私が日本の教育においてもっとも不満なのはこの部分で、掛け算とか割り算の意味を理解していないのに九九を暗唱してしまうだけで、テストで点数がとれ、それで数を理解した、とみなしてしまうのは間違っているのではと思う。

  理科においても、教科書で資料をみせて植物の成長をおっても、そこに実体験がない限り、感覚として理解していないのだ。

  知識としてだけの自然、物理や科学の理解をおしすすめていくと、生きる力が阻害されてしまう。

  カセットコンロを二台並べた上に鉄板を乗せて爆発事故、当事者を非難するわけではないが、これは小学生程度の知識が正しく備わっていたら起こらない事故である。

  真冬の窓に、曇り止めスプレーをしたら水滴がつかないと思っている人は一定数いる。なぜ、窓に水滴が付くか、冷たいグラスが汗をかくかわかっていないのだ。曇り止めスプレーの界面活性剤の作用も理解していないということだ。

  勉強したことが暮らしの中での知恵と結びつかない。

  シュタイナー教育の思想が理想論なら、今の日本の知識詰め込み型教育も既に破綻した理想論でしかない。

  昔はそれでも、勉強以外に家事をしたり野山で遊んだり、沢山の実体験があったから成立してきたのだろう。

  でも、近年では、そういった実体験も与えていかなければ、知識が生きる知恵として結実しないまま大人になってしまうのではないか。

  

  特にパソコンやスマホが当たり前の環境になった今、教育機関でやらないといけないのは実体験を与えることだと思う。

 

  芋の苗を植えて、水やりをし、草をむしり、収穫して焼き芋にする、そんなことが最大の生きる為の学びなのでは。

 

  実際、私は小学校の6年間で芋を育ててきた。

  掃除の時間に持ち回りで芋担当の班があり、春から秋まで世話をしていく。畑は地域の方が貸して下さり、当時は思いもしなかったが、悪天候や夏休みの際には畑の貸主さんがお世話をして下さったのだと思う。

  秋にみんなで焼き芋をするため、に育てていると思っていたが、大人になった今、そうではなかったと気づく。

  収穫の際の喜び。

  風が吹いて土の匂いが頬を撫でていった感覚。

  畑の中には沢山生き物がいるということ。

  芋を洗い、火を起こすことの大変さ。

  落ち葉の感触、生の火の力。

 

  縦割り班の一年生が特別美味しいから、半分の芋をさしだしてくれたこと。

 

  私は今ではスーパーで買ってしか食べないが、芋を持つと、全身の感覚であの当時を思い出すのだ。

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  芋ご飯と大根の炊いたんと。

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  シュタイナーの推奨する人形がまたかわいい。顔つきがいわさきちひろの子供にもみえてくる。

  シュタイナーは水彩画のにじみをつかった絵をあらゆる場面で授業に取り入れている。

  これが私には偶然とは思えないのだ。

  ちひろはシュタイナーの思想や理念を知っていたのか定かではないが、二人の子供に対する思いは共通したものがあったのではないか。

   

 

いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて

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ちひろの絵のひみつ

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