兎徒然

うさぎと暮らす日々、ときどきアート

評価って大事なのかな。

 SNSを通して色々な子育てを知るこの頃。

 ちょこちょこ目にするのが、保育園児の時点で上手く描けないから描かない、という子。

  他者視点というものが内から芽生えるのか、それとも周囲の指摘で芽生えるのか分からないけれど、絵を上手い下手で語るのはナンセンスの極みだと思っている。

  私はものを作るのが好きだし、運動は嫌いなんだけど、それを上手、下手だという認識でもって行ったことなんてあまりない気がする。

  保育園の頃、竹馬や登り棒なんかは好きだったし、自転車も数時間で乗れた。苦手って意識ができたのは小学校にあがってからかな。

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  皆んなが走れるマラソンが、私には走りきれない、とか、スポーツテストで逆上がりができなかった、とか。

  授業で横並びにできないと、先生の焦りやクラスのお荷物になってるのがわかって、運動がどんどん楽しくなくなっていった気がする。

   

  どうも私には、競争意識があんまりないようで。走るにしても、風と一緒になって駆けていく瞬間が気持ちよかったり、一輪車や竹馬も、道具を上手く操れるようになるのが面白かったのだ。登り棒にいたっては、頂上で校庭を眺めるのが好きだった。

  絵をずっと描き続けてきたのも、今まで発表の場を求めなかったのも、評価というものに意識がいかないからかもしれない。

  絵に関しては''才能"という言葉を使って賞賛を貰ったことが何度かある。でも、才能ってなんなんだろうなぁ、上手にできる、という意味でつかってるならば、それはちょっと違う気がする。

  私は、絵を描くことに人生の時間を使ってきたから。そりゃそれなりに上手にならないわけがない、と思うのだ。

 

 

子どもが絵を描くとき

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自然・子ども・アート―いのちとの会話

自然・子ども・アート―いのちとの会話

 

 

  才能というものが私にあるならば、それは描きたいという衝動、美に反応する敏感な感性を生まれ持ってしまったことだと思う。

 16歳の時に初めて画塾という、絵を描く同士のいる場所へ行ったが、そこでも絵を描く意識に対しては周りとギャップがあった。

  わりと描ける子ほど、先生の講評や、コンクールでの結果、受験に必要なテクニックばかりを追い求めていた。

  先生に褒められても、自分が納得いかない絵は良くないと思ったし、けなされても、『わからないならいいわ』と思った。

 

  片田舎の画塾の、わりと描けるレベルでそんなことを気にして描いてるなら、この子は多分絵の道を追い求めて人生を歩めないな。

 

  そんな風に思った。

 

  自分の絵だもの。

  自分がひきたい線、塗りたい色。

  美しいかどうかは私が決める。

 

  ピカソが他人に評価を求めたかな。

  シャガールの絵が上手いのか。

 

  一枚の絵の上で、全身全霊遊んだり怒ったり、そこに自分の人生をのせる覚悟があって絵というものはできる。

  上手くなりたい、賞がほしい、そんな気持ちになる時点で、アーティストではないし、アーティストにならずとも人生愉しめる人なんだなと思っている。もちろんビジネスとしてはそれも必要なテクニック。

  ただそれは職業であって、アーティストではない。

 

  嫉妬で、目の前で泣かれたことが二回ある。

  二人とも、私には友であった人だ。

 『フレミーをみてると、私には才能がないんだ、選ばれた人ではないんだと思う。悔しいし、悲しいけど、それが私にはわかってしまった』と。

 

 私は何も言えなかった。

  欲しいと切願しても、手に入らないものは私にもたくさんある。

 

  二人は今、幸せにしてるかな、と時々おもう。

 

  他人軸の評価で生きる人生は、あまり楽しくなさそうに見える。

  運動はチームでやると、下手だと迷惑になっちゃうけど、絵なんて何かこうが迷惑にはならないから。どうか、小さな人に関わる方、絵を上手いだの下手だのと思わないで。

  紙の上はクレヨンの足で馳ける公園くらいの気持ちでみてあげてほしい。

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