兎徒然

永富 月来子、絵描きです。うさぎと暮らす日々の由無しごとを綴ります。

不登校について考えてみる

  不登校について、この数日で様々な意見がでている。どんな物事でも、ぐるりと廻ってみてみないとやたらに批判はできない。

  本人が表現していない部分での理由もあるかもしれない。それを詮索するのもおかしなことだと思う。

  私は、学校には、別にいかなくていいんじゃないっておもう。いってもいいんじゃないっておもう。

  自分にとっての学校や先生が、どこにでもあるわけじゃないし、自分の感受性や学びの力もその人だけのものだ。

  この20年で、社会は大きく変容したと思う。子ども達は、この新しい社会の生命体だから、不登校児は今後もっと増えていくんじゃないかなと個人的には思っていて、学校に行くべきとかそうじゃないかよりも、色々なルートの受け皿を日本の社会が真剣に考えてみる時が来たんじゃないかと思う。

  社会性とか、同調圧力に均されることへの慣れ?それがないと、今までは暮らせなかった。核家族化や生涯独身者の増加、非正規雇用者の増加は自然に属する生命体としての自然な変化だと感じる。生命体としての変容の時代。(武器を捨てた時代も、こんな議論があったのかも。武術を身につけんと、漢学をやりたいとはなにごとだ!みたいな。)

  学問を身につける、ということをベースに議論するのはあまりにも個人差がありすぎるから無意味なんじゃないかな、とは思う。正直、私は学校に行かない方が学力は身についたと思うし…。(聴くことに重きをおいた授業形態ならば、の話。私は聞き取り能力が低いので、読んだ方が理解が速いし深い。)

  忍耐とか我慢とか努力とか根性とか、それが社会的同調圧力によってもたらされるものならば、わたしには無駄にしか思えない。

  大事なのは幸せに生きる権利が皆にあり、その権利をまっとうするための義務は、いろんな形があるということ。

  幸せの形が色々なのと同じ。

  自分で考えて生きる、それが幸せ。